普通の薬局で在り続けるために(2)

(岡山県薬剤師会会報143号掲載)

案内人

大和 彰夫

自動扉の開閉によって起こる空気の乱れよりも穏やかに、その男は僕の薬局に入って来た。先客を応待中の僕や薬剤師、あるいは、彼の後から入って来た客の視界に存在しないかのような位置に立ち、僕を待った。大して忙しい薬局でもないのに偶然の悪戯で僕等が挨拶を交わすまでに十分以上を要した。そのことが結果的に彼の直感を裏付ける現場の確認にもなったのだろう。いやいや、きっとそれ以前に、道路の向う側からしばらく僕の薬局を観察してから、結論と共に入って来たに違いない。

過去と近未来を結ぶスクランブル交差点に立たされている現在の薬剤師は、過去に追い立てられ行手の選択を迫られている。渡るべき歩道を見つけ足を踏み出せた人は幸せ。三色の点滅の連鎖に思考の回路を撹乱され立往生している人の息は絶々。僕は後者の代表としてこの連載を依頼されたのかもしれないが、僕固有の人格を持った薬局として在り続ける為の根拠を日々捜し続けている。読者の皆さんの所にも大手協同組合の紹介ビデオの請求葉書が届いたと思う。その葉書をその日のうちに投函したのは興味本位ではなく、こうした理由からなのだ。

僕が薬局の仕事を始めて20年来、情報のほとんどは、薬剤師会雑誌、業界新聞、OTCチェーンメーカーの情報誌を通して手に入れてきた。
薬剤師会雑誌は会の長い苦難の道と共にあった。遅々として進まない分業に翻弄されながらも途絶えることなく手許に届けられた。本来高度な職能を与えられた読者は、師の名に値しないような仕事に追われ、ふと我に返った時に本棚から知性と自尊心を取り出し頁を捲る。数々の統計に慰められ、数々の学術に安らかな眠りに誘われた。会が勝ち取ったものではないが、国の経済の疲弊と共に永年の悲願?の分業が向うから転がり込んで来た。今では、その気になりさえすれば誰でも調剤薬局を開けるぐらい処方箋は高嶺の花ではなくなった。それと共に、薬剤師はテイッシュペーパーやミルクを売る職業でないことが国民に少しずつ判ってきた。近年では巻を重ねる度に分業率の数字が誇らし気に踊っている。表紙が上皿天秤の顔をして笑っている。

業界紙は盛沢山のトピックスを伝えてくれた。明らかにスポンサーが隠れているなと思われる記事の多さには食傷気味だった。全ての商業紙がそうであるように現状に追随するだけで時代の水先案内人にはなり得ない。
毎月送られてくるOTCメーカーの情報誌は、薬の販売力を確実につけてくれた。徒弟制度のように知識を授かるシステムのない開局薬剤師は独力で力をつけるしかない。あたかも通信教育のような情報誌も見方を変えればメーカーの洗脳合戦の感も否めない。数々、催される講習会も然り。立板に水のようなプロの講師も、おどおどとして心に訴えかける素人の会員講師も、その熱意とは裏腹に流通の一翼を担う。余程こちらの情報処理能力を高めないと、メーカーの商品を捌く端末機になってしまう危険性がある。特定の商品を盲信することで・・・僕は薬剤師は本来客や患者に代わって疑ってあげる職業と思っている・・・あるいは、多くを売って大きな利潤を得る為に、知らず知らずのうちに客の身体を傷つけていることすらある。時として薬剤師の自分が勝つが、往々にして商売人としての自分が勝つ。そんな葛藤の連続だった。

ところがこの数年は、調剤関係の情報誌が沢山送られてくるようになった。郵便配達がわざわざ束ねてくる位の量が毎日届く。僕はそれらを追われるように読む。判るかどうか、記憶できるかどうかが問題ではなく、読んでいないことの恐怖から逃れる為にひたすら読み続ける。そんな中で新刊の雑誌に好んで取り上げられる先進的で献身的な調剤薬局。処方箋の数、月何千枚。薬剤師何人、事務員何人、完壁な薬歴管理、訪問服薬指導、果ては薬の博物館にドライブスルー。雨後の筍のように出来る病院とのペア薬局ならいざ知らず、僕のような「普通の薬局」では、それらを満たすのは至難の技だ。ファックスで送られるから仕方なく僕の薬局へ処方箋を持ってくるのか、あるいは余程僕が好きなのか知らないが、彼等は僕の所へ来たばっかりに損をしているのではないか。調剤専門の薬局へ行った方が色々な恩恵が与れるのではないか。僕は広域病院の分業が始まってから、いつもこの問を自分に発し続けている。薬を持って帰る時、ほぼ全ての患者が「お世話になりました」と丁寧に礼を言ってくれる。しかし僕は先進的な薬局の薬剤師と比べると何の世話もしていないに等しい。薬剤服用歴管理簿に必要なことを書き込むが、この辺の人が広域病院以外の薬を貰うのは、病院そのものからか、門前薬局からか、どちらかなのだから、その記録が日の目を見ることは滅多にない。僕は処方箋に従って正確に調剤することを心掛けているだけだ。患者の健康面で気がつくことも時々あるが、余程のことでない限り・・・疑義照会が必要な程・・・口を挟まない。医師(病院)の患者であって僕の患者ではないから。医師に礼を言うのは分かるが僕には不要だ。礼を言われる度に心苦しさに襲われる。だって充分過ぎるくらい報酬をもらっているのだから。先進的な調剤薬局から既に一週遅れでトラックを走っている薬局にとって、これから差を縮めていくのは難しい。ハードで太刀打できないのならソフトで……コンタクトレンズじゃあるまいし、ハードが充実しているような薬局はソフトも充実している。当方なんか及びもつかない。

分業を謳歌する記事が溢れる中で、分業率が30%を超え出すと、さすがに自戒の文章も目につき出した。
「新たに医薬分業に取り組み始めた医療機関の周辺には、コバンザメよろしく調剤薬局が必ずといっていいほど出店し…医薬分業の最大のメリットは薬歴管理に基づき患者個人個人に合った懇切丁寧な服薬指導ができる点でなかったのか…病院内にあった薬局が単に病院の敷地外へ出ただけ……門前薬局の場合、営業努力をしなくても患者が勝手に処方箋を持ってきてくれる……医療機関の顔色ばかり気にして患者の顔を見ようとしない薬局…」(日経ドラッグインフォメーションより抜粋)

彼は瞬きの少ない、隙を見せない眼で僕を睨みビデオ請求への礼を言う。抑揚のない言葉が隊列をなし、コーヒーカップの中に落ちていく。結構沢山の間合いを受けて、そのお礼の挨拶に回っていると言う。入会の勧誘に回っているのかと思いきや、彼は、お礼に回っていることを殊更強調する。開発担当経営相談員という肩書きが名刺から飛び出して薬棚に止まりレジを見下ろす。僕が尋ねる必要もなく彼は言葉を連ねる。まるで用意されたかのような内容にいちいち納得してしまう。それは彼が見抜いたように僕の薬局が、彼の言う「普通の薬局」だからなのだろう。僕が彼の言葉を一つずつ拾い集めるのは、拡大の一途をたどってきた大手協同組合が時代のスクランブル交差点に立ちどちらに向かって歩み始めているのか知りたかったからだ。薬剤師会の雑誌には先ず登場することのない、又、メーカーとも必ずしも共存関係にない彼等の生の声が以前から聞きたかった。そしてそのチャンスを彼が与えてくれた。

僕と同じようにビデオを請求した薬局を訪ねてみると疲弊しきっているのが手に取るように判り、方向転換や規模の拡張などの余力は既に無く、これから先、存在すら危ういのだろうと彼は言う。(勿論僕の薬局も含めて次の薬局でも同じように話すだろう)心当たりのある方、決して恐がらないで欲しい。彼のチェーンは、二千店以上加盟していて、一店当りの規模は僕の薬局の数倍に達する。そんな大きな薬局薬店群ですら、10年以内に半分は淘汰されると予測している。だから僕等「普通の薬局」が一刀両断に斬って捨てられても文句は言えない。売場面積150坪のドラッグストアなら生き残れると言うが、僕等にそんな資力も勇気もない。人材もない、ノウハウもない。無い無い尽しでドラッグストアヘの業態変換が無理なら、調剤専門薬局はどうですかと、矛先を変えてみる。この分野ならさすがの彼も太鼓判を押してくれるだろう。何故なら、県内でも続々と開局しているのはこの種の薬局だけだから。未だ処方箋を出していない医院、開業しようとする若い医師、いつでも開局できるだけの調剤技術を持った病院薬剤師。素材は揃っている。国も後押しをしてくれる。順風満帆の好例として広辞苑にも載りそうな勢いだ。「さあ、どうだ!」僕は心の中で啖呵を切る。彼の表情に動揺は生じなかった。「5年遅いですね」と言う。5年前なら調剤専門薬局を開設しても旨みがあったけれど、これからは薬価差は少なくなるし調剤報酬も削られる。分業率30%突破という華々しいタイトルも救世主にはなれないのか。

僕ら普通の薬局は、彼が保証する150坪ドラッグストア、彼が否定する調剤専門薬局どちらにもなれず、彼等が最初から無視した普通の薬局として、知らぬ間に消えていく運命なのだろうか。いやいや研ぎ澄まされた彼の理論にも何処か間違いや思い込みがある筈だ。さもないと僕らは浮ばれない。そうだ、日経ドラッグインフォメーション(何故か知らないが無料で送ってきてくれる雑誌)に、今から大々的に調剤分野に進出しようとする勇敢な人がいることがつい最近載せられていた。そうです、その人は何を隠そう僕の大好きなマツモトさん。前号で書いたように、僕は新幹線と私鉄を乗り継いで5万円もする小児用ジキニンを態々買いに行く程のマツモトキヨシの追掛だ。運悪く、小児用ジキニンは定価販売だったが、5万円は安かった。「普通の薬局」が大手ドラッグストアと共存する方法を前号で報告したように見つけて帰ってこれたのだから。ところが半年もしないうちに日経がマツキヨ(通はこう呼ぶ)の心変を伝えている。

ドラッグストア最大手のマツモトキヨシが調剤事業に本腰を入れ始めた。今年度中に70店舗以上の新規出店を計画しているが、それらを全て調剤併設型の店舗にし、既存店も 随時保険薬局に転換し、2001年までに調剤併 設型を含めた500店体制を目指す……薬剤師 の確保、教育にも力を入れ……薬剤師手当て の額も日本一を目指している……
どうです、この文章は僕らには朗報だ、僕 らは完全に行手を塞がれているのではない。 これから調剤分野に投資しても充分ペイでき ると見込んでいるからこそマツキヨは調剤に 進出するのだ。「5年遅い」と言った彼も、 このことは承知しているだろう。さて、僕等 は彼を信じるのか、マツキヨの読みを信じる のか。解答は近いうちに出るだろう。出来る ならマツキヨの読みに軍配が上がることを望 む。たとえ、ダボダボのジーンズやルーズソ ックスが薬を売ろうが、面分業を促進するこ とは間違いないから。圧倒的な集客力は、普 通の薬局では成し得ない「あたりまえの分業」 を一気に促進する可能性がある。その力は薬 剤師会よりも大きいのではないか。岡山県に も、ミニマツキヨは沢山ある。それらが調剤 併設型になった時、処方箋は自由の羽を得、 川を越え線路を横切るだろう。その時「普通 の薬局」が在り続ける為のヒントを日本薬剤 師会雑誌が与えてくれている。・・・カナダで は体調が悪くなると薬局へ行って薬剤師に自 分の症状を判断してもらい、医師を訪ねるべ きがどうかを相談する。そこで薬剤師は0TC 薬で対応可能なのか、症状がどうなったら医 師に見せるべきなのかを判断する。この仕事 こそが薬局薬剤師の最も重要な仕事になって いる。・・・

僕の薬局は田舎町の中央にあり、道路に面 して駐車場がある為に、車を横付けにして (縦に駐車すると3台分)ペンションや民宿 への行き方を尋ねられることがよくある。ま るで施設の観光案内所だ。ペンションや民宿 は、ほとんどが山の上や岬、果ては島などに あるので道が判りにくい。だから僕は、多く の場合、紙切れに簡単な地図を描いてあげる。 口頭だけの説明ではとても辿り着けないだろ う。おかげで地図を描くのだけは上手になっ た。ポイントを押さえた適確なアドバイスが 観光客を目的地まで誘導できる。

病気に関しても同じことが言える。少し鼻 水が出ただけで病院へ、植物でかぶれただけ で病院へ、ちょっとすりむいただけで病院 へ……僅かの自己治療も出来ない人達が税金 を食い潰す。逆に血圧が200を超えたり、肋 間にヘルペスを出したり、肺炎ではないかと 思われる程呼吸が浅い人など、とても薬局の 手に負えない猛者が僕の所へ間違って来る。 成程、オリーブの木が鏡のような瀬戸の海面 に姿を映す温暖な田舎町にも、北極の寒気が 町を呑み込んで凍らせるカナダと同じよう に、初期医療の案内係たる薬局薬剤師が必要 だ。経営相談員の彼が見抜いたように僕の薬 局は大きなドラッグストアにもなれないし、 雑誌に取り上げられるような調剤専門薬局に もなれない。しかし僕の薬局には、何でも隠 さずに1時間でも2時間でも喋ってくれるお 客さんがいる(それだけ閑なのだが)。漁師 達の果てのないホラ話を子守唄に育てられた 風土がある。土着の人間には土着の案内人が 必要なのかもしれない。美しい言葉も知的な 会話も要らない。深い皺の中に歳月を刻んだ 彼等の身体を思い遣る心が少しだけあれば案 内人になれる。潮の香と土の匂。口べたな心 優しき人々。彼等がいて僕の薬局が在る。
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