普通の薬局で在り続けるために(4)

紙コップ

このページは岡山県薬剤師会会報に掲載された随想のページです。
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大和 彰夫

日曜日、太陽が天を窮めた頃、山の駅に人影は無く、僕はホームを一人占めする。遠くで一条の煙が絶えまいとして懸命に登っている以外、景色に動きは無い。風さえも遠慮して草の葉を揺らすことを躊躇している。もしここでキャンパスを広げたら、何色(なんしょく)の絵の具を用意すれば良いのだろう。空の青と、山や畑の緑と・・・。点在する百姓家以外人工的な物が何も無いことで心が洗われる。無い物が無い生活は、人為的な飢餓を再生産し永遠に満たされない。物に囲まれ、人に囲まれ精神は痩せ衰えていく。

突然、電車が絵葉書を破って現れる。僕は山の空気と共に車両に移り、主を待ちくたびれた座席に慈悲をかける。足を開いて居眠りをする御婆さん。寄り添う恋人達。通路で駆けっこをする小学生の女の子。質量を失った空気はボールのように丸くなって吊革で一休みする。 草木は雨を求め、川は谷を求め、風は峰を求め鳥は上昇気流に乗る。誰もそれを拒めない。終わりのない風景を追っかけて電車は僕を運ぶ。山の駅を2・3個数えると突如として、乗ってくる人の言葉が関西弁に変わる。昂揚した気分を表現するのに打って付けの言葉が為政者の恣意的な筆の跡を思い起こさせる。草木が風に命を運ばれ、魚が本能の川を上るように誰もこの景色に線を引くことは出来ない。しかし歴史は、この線の為に多くの血を流した。

鉄条網と軍服によって分断された血。北の土地には生き神様が君臨し、氷点下の大地に裸足の幼児が佇む。屋台から零れた米粒一つ、拾って口の中に泥と共に運ぶ。この貧しさは誰の為、誰のせい。北の神様のせい。人為の線は命の線、地獄の線。眉問に鍍を寄せてキャスターが人道を叫ぶ。つい先程まで、無能なタレントの下劣な会語で視聴率を稼いでいたマスコミは正義の叩き売りで又、一儲けする。「可哀相だけど、辛くない」。僕はブラウン管のこちら側で、無い物は何も無い側で、ある物は何も無い子等の映像を観ている。可哀相に思うのだけれど全く辛くない。僕は醜く脹らんだ御腹を摩りながら横たわるが人道のげっぷは不発に終わる。「可哀相だけど、辛くない」。この虚無な文句のおかげで僕はどうにか20年間「普通の薬局」を維持できた。この境地に達するのに実は数年を要した。

大学を出てすぐ、成り行きで店頭に立った。白衣を着ている分だけ知ったか振りをし、質問される度に笑いで誤魔化した。人の良い田舎の客は騙されても騙されても又来てくれる。そのうち騙し切れないから勉強しようとしたが、生来の勉強嫌いで、親に講演会に行ってくると言ってはパチンコのばねを弾き、勉強会に行って来ると言っては映画館の暗闇に隠れていた。強靱な肉体をもって生まれてこなかったおかげで病んだ人の心が少し判る。学生時代、仕送りを断り飯に塩をかけて食い自動販売機の釣銭を漁り、拾ったしけもくを吸ったおかげで金の無い生活が少し理解できる。生まれ育った町に帰り、金が欲しいからではなく、金が要るから働いた。大学の5年間、自由過ぎて一生分遊んで暮したから、働くことが苦痛ではなかった。与えられた自由程、不自由なものはない。

数年が経過し、白衣の裾が擦り減ってほつれ始めた頃、少しだけ客の役に立てるようになった。同時に役に立てない事例にいちいち責任(後ろめたさ)を感じるようになった。無知と若さがそうさせた。客の抱えている「苦」を一つずつ拾い集め腸詰めにして呑み込んだ。胃袋は痙撃し吐瀉物の洪水の中で窒息する。半年の間、僕は腐敗臭の中で悶えていた。そんな僕を救ってくれたのは、偶然出席したチェーンメーカの講演会の講師だった。瞬時にして僕のトラブルを見抜き、適格な処方を教えてくれた。疲弊した僕の心はやがて解放された。こうした体験から辿り着いたのが「可哀相だけど、辛くない」の心境なのだ。車に轢かれた爬虫類が流す血のように僕の心は体温を失い冷たい。しかし、これでなければ身が持たないのだ。懺悔する人達の苦しみを全て受け入れることが出来る神父の強い心は凡人には持ち得ない。客の殆どが顔見知りだが、以来あくまで彼等と距離を保って応対することを心掛け、いつの間にかそれが出来るようになった。熱く冷める、それで精一杯だ。

40年前、僕はこの街の百貨店のフロアーに寝そべり、母にエキスパンダーを買ってくれるようねだった。拒否する母の顔色を窺いながら、手足をバタつかせ迫真の演技で回りの人達の視線を味方に付け、遂にそのエキスパンダーを物にした。駆け引きを覚え、それに勝ってしまった痛恨の街に電車が到達する。沢山の関西弁と共に吐き出されると目的のビルを目指す。黒塗りのベンツが数台路上で威嚇する。髪の毛が長いとヤクザに絡まれ柳ヶ瀬のアーケードの下を下駄で走って逃げたことがある。何も怖いものがなかったあの頃が、遮光された窓ガラスに映る。
20人位が集まる筈の部屋の前で数人が立ち話をしていた。全く同じ勘違いをして集まった僕らは・中止されていた集いの為にやって来たのだ。誰も不満は口にしない。日捲りを一枚一枚ちぎって捨てるように、几帳面に繰り返される日常に、誰も傷つかないハプニングが起こり互いに顔を見合わせ思わず笑みを零す。どう見てもスマートになんか生きていけない者達の妙な連帯感が生まれる。暫しの雑談の後、非日常の街で別れた。
この街は実際の人口より遥かに活気があり整備された商店街が縦横に走り周囲の市町村の客を集めているのが容易に想像つく。哀しい習性で僕は薬局を物色する。
県外にまで名声が伝わっている薬局は駅前の超一等地にあった。僕はいつものように客を装い店内に入る。正面は全開放で自然に店内に誘導される。若干の後ろめたさはあるがこれも勉強の為、いやいや時にはリポビタンを飲んだり、余りしんどければユンケルを飲んだりするので僕も立派な客だ。遠慮することはない。居直って聞き耳を立てる。いつか見たマツモトキヨシと違ってここの薬剤師や店員は良く喋る。店内はごった返しているが白衣のスタッフが沢山いて各々の客の対応に追われている。揚句、僕の薬局では月に1個出るか出ないかのような高い薬が買い物袋の中に次々と収まっていく。日曜日で処方箋の客は少いのだろうが、ガラスを通して見える調剤室も、豊富な薬品が整然と並べられ、平日良く機能していることが窺われる。こんな繁盛店が近隣に来たら一たまりもない。尤も僕の町は小さ過ぎて、あっちが一たまりもないだろうけれど。

地下街が発達してくると、古典的なこの種の商店街に人が溢れるのを目撃することが少くなったが、この街のアーケードは沢山の買物客を従えている。アーケードを頼りに歩けば多くの薬局が見つけられる。駅から離れれば離れる程、歩く人も減り自ずと店の中にいる客も少なくなる。客はおろか主の姿も見えないこともある。きっと僕が入っていけばチャイムが鳴り、中から主が出てきて様子を尋ねてくれるのだろう。こうなると一対一で息が詰まり、店内を見渡す勇気も無くなり神経の消耗戦に負けてしまう。立地に恵まれて、一の努力で十の結果を得ることが出来る薬局よりも、場末で十の努力で一の結果をやっと得ている薬局の方が僕には参考になる。が、如何せん、入りにくいのだ。コンビニやスーパーで挨拶一つしなくても薬が手に入るのなら殆どの人がそちらを選択するだろう。僕の小さな薬局では、客とおぼしき人が入って来たりすると、つい逃してはなるものかと力んでしまい客を失う。かと言って、間口を広げ薄利多売を追求できる程の力量もない。医者程勉強していないのに医者もどきを平気でやって高額な物を売りつける健康食品のチラシ程犯罪的ではないが。片手に医者のお零れ、片手に医者もどき、生きていくと言うことは大変なことだ。
袋小路の入口にあるうどん屋の前を通りかかった時、僕は目を疑った。大きなポスターの中の2人の顔写真が20年前の顔そのままで微笑んでいる。彼等はフォークソングの世界ではとても有名な歌手で僕等アマチュアにとっては羨望の的だった。4畳半の監獄のような部屋で彼等の唄を真似て何時間も歌った。

季節のない街に生まれ/風のない丘に育ち
夢のない家を出て/愛のない人に会う

幸運にも2人の野外コンサートが夕方にある。僕はうどん屋に飛び込み、表に貼ってあるポスターを貰った。僕はその瞬間から20年前の青年に戻っていた。
駅の北側にある会場の公園へ向かう道路は狭い。車が悲鳴を上げて歩いている。途中で白壁土蔵造りの薬局を見つけた。定休日らしく格子のシャッターが下ろされている。中が暗くガラスが鏡になっていて見慣れた自分の姿が映っている。僕は格子に顔をくっつけ両手で光を遮り中を覗く。眼が慣れるにつれ、重厚な内装が浮かび上がる。店の中央に等身大の人体模型があり、こちらを向いている。微かにそれが動いたようなので目を凝らすと、向こうもこちらを見ている。瞳孔を思い切り開放していた僕は見事に合った視線をずらすことが出来ずに金縛りにあった。年配の店主は僕を何と思ったのだろう。全国を股にかけている空巣のプロか。金が無くて高い漢方薬が買えず物欲しそうに覗いている男か。金も払わずノウハウだけ盗もうとしている同業者か。いつの問にか身に付いた習性が寄り道をさせる。

公園の広場には鉄パイプを組んで作った立派な舞台があり、風がテナーサックスの悲し気な音色を運んでいた。広い会場に聴手は数人しかいない。テントの中から関係者と思しき人達が不安そうに埋まらない会場を見ている。前座を勤めるいくつかのバンドの演奏をその都度替わる数人程のさくらと共に聴いた。1時間余りを共有したのは生産とは凡そ縁のない時の消費者と、普段この広い公園を一人占めにしている浮浪者だった。2人共大脳をアルコールで浸し、足取りのおぼつかなさの代償に恍惚の表情を得ている。ジャズだろうがロックだろうが御構い無し。ぎこちない手の動きが控え目に存在の理由を訴える。浮浪者が汚れた紙コップを僕に手渡し年寄りが時をなみなみと注ぐ。僕は今日、土の上に立った。
ある時刻を境に人が四方から沸き出て広場を埋め尽くした。20年前と同じ顔で声で唄が始まる。何度も何度もレコードを聴き真似て歌った曲が流れる。

命は1つ人生は1回/だから命を捨てないようにね
慌てるとついフラフラと/お国の為なのと言われるとね


優に1000人を越えた聴衆は団塊の世代と若者とに2分される。親と子、あるいはそれ以上の年齢差にも拘わらず1つの唄を共有する。封印を解かれた青春が蘇る。強い力を嫌っていた。若者の嗅覚が強過ぎる力の存在を疑っていた。

僕は今、両足を抱きかかえ/この峠の上に座っている/
この道を最初に来た君と/一緒に旅に出る為に


まるで屠殺場の牛のように眉間を打ち抜かれ倒れるベトコン、糞尿を被り杭に体を縛り付けて田圃を守ろうとした成田の百姓、いつも虐げられる人達の呻き声が聞こえていた。

歩き疲れては夜空と陸との/すき間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです/所かまわず寝たのです
歩き疲れ寝たのですが/眠れないのです


この1年で3万以上の人が自ら命を絶った。その中に愛すべき1人のフォーク歌手がいる。新聞の記事で彼の死を知った時、不思議なくらい彼の選択が理解出来た。優しいだけで生きていける時代が終わったことに彼は気付いたのだ。震災の後、彼は神戸でずっと歌い続けていた。

男らしいって分かるかい/ピエロや臆病者のことさ
俺には聞こえるんだ奴らの脅えたような泣き声が


僕はこの20年間、開局薬剤師として何をしてきたのだろう。何を求め続けてきたのだろう。豊か過ぎる時代の豊か過ぎる国の客は、食べ過ぎて胃を壊し、飲みすぎて肝臓を壊し、遊び過ぎて風邪をひき、老化を病気と勘違いし、そしてそれを金で解決しようとする。そのおかげで僕は子供を育てて家を建て・・・。僕は生活の糧を運んでくれる客に感謝の言葉を添える。
「又、風邪をひいてね。病院へ行かなくてもいいようなやつをね」
一包化の指示に従って、一つずつ薬をヒートから指の腹で押し出し、蝦のようにのけ反った脱け殻をいくつもごみ箱に捨てる時、過剰包装の極みを見る。この薬一錠を作る金と労力で、豊か過ぎる国の豊か過ぎる人のほんのちょっとした不快を和らげる為に費やす金と労力で、アフリカで飢えて死んでいく子供をどのくらい救えるのだろう。ちょっとした夜更かしで喉を傷めた人が服用する抗生物質で何人の子供が救えるのだろう。確かに僕は日々不調を訴えてやって来る客の役に立っている。しかし本当に薬が必要なのは、御腹を背中にくっつけ、涙の枯れた目で虚空を眺める天の恵みのない土地に生まれた人々ではないかと思ってしまう。一つ一つ薬を弾く度に「何かが違う何かが違う」と天井で小さな蜘蛛が囁く。だけど僕の手は又嬉嬉としてレジの数字を叩いている。

自由っていうのは失うものが/何もないことさ
いい気持ちになるのは簡単なことボビーがブルース歌えば/それだけで俺たちゃごきげん


いつしか公園を見下ろす城がライトアップされていた。幾度となく繰り返されるアンコールに誰もが気付いているのだ。この公園を一歩出ればアスファルトのように無機質な日常が待ち構えているのを。だから誰もが手を叩き続ける。土の上に立ち続ける為に。

見知らぬ街で一文無しになって/ジーンのように擦り切れた気持ち
ボビーはトラックにヒッチハイク/雨が降ってきそうだから


曲がりなりにも薬剤師として生きてきた。僕が僕であることも忘れて懸命に働いてきた。おいてきぼりにされた僕は何処に隠れていたのだろう。汗で黴けた白衣の中か、集塵機のフィルターの壁か。今日僕は、僕であることの作為の線を越えた。関西弁が溢れる中で何もかもから解き放たれ1人になった。僕は国道に立ち親指を空に向かって立てる。

「運ちゃん、行方不明の僕が暮しているって言う街に乗せてって!」


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