普通の薬局で在り続けるために(3)

(岡山県薬剤師会会報144号掲載)

金と銀

大和 彰夫


辿り着く所を知らない僕の人生は、裸足で焼けた砂利道を、道化が跳ねるのに似て、足跡すら残らない。記憶は投射された光によって可視的になり闇の中で眠りを覚ます。日常で躓く度に地下から噴出する汚泥のような記憶は、僕の交感神経を町工場の砥石で研磨する。口渇は粘膜を透過し鼓動は空気に共鳴を強要し、汗腺は有りと有らゆる扉を閉ざす。僕は脅えた飼い犬のように尻尾を丸め、震え、踊り、神の心変わりをひたすら待つ。

その記憶には僕の青春と同じように色彩が無い。春、散ることの美学を背負ってすすり泣く桜の木。夏、ブロック塀の向こうからギラギラ輝く太陽を覗き見する向日葵。秋、畦道を占拠し故郷へ誘う傷心の曼珠沙華。そのどれもが色彩を失っていた。希望の花弁は落ち自虐の根茎だけが生命力を謳歌していた。その街で暮らした最後の冬。舞台装置は、まるで一人芝居のように簡素だ。山の端も判らないような暗い夜、輝くことを忘れた星たち、凍て付いたアスファルト。車の扱いを全く知らなかった筈の僕が、何故そんなことをしたのか今だわからないのだが、運転席に座り、エンジンキーを廻した。助手席には、車の所有者の後輩が座っている。車は駐車場から、バックで急発進し県道を一気に横切り反対側の歩道に乗り上げ自然に止まった。そう、正に自然に止まったのだ。ブレーキも知らない僕に出来ることは何もない。唯だ恐怖のあまり心と身体を一瞬のうちに引き攣らせただけだ。しかし、そのおかげで足がアクセルから離れ、歩道を飛び越え田に落ちなくてすんだのだ。助手席でアッーという叫び声、旨く衝突を回避して抗議のクラクションを鳴らし続け走り去った車、歩道に乗り上げた車の窓越しに、怒りと軽蔑が混在した目差しで睨みつけた幼子を抱いた父親。幾度となくリハーサルを繰り返し、やっと撮られた映画の1シーンのように、フィルムに切りとられた瞬間。何故あの車は、あの父子は1秒行動を早めていなかったのか。何処かの信号待ちで、加速が少し足りなかったのか、家を出る時、幼子が憤ったのか。もし彼等の行動が1秒前にずれていたら、僕は明らかに車と衝突したか、父子を跳ね飛ばしていただろう。そして無彩色な夜を、油絵のようにベットリと鮮紅色に染めていただろう。挙句の果て謝まっても謝まりきれない原罪を負い、返しても返しきれない賠償金の為に身を粉にして働き、その通りに今頃は粉になっていただろう。岐阜で最後の冬の忘れられない夜。科学を超越した力によって救われた夜。忘れようとしてもわすれられない、決して閉じ込めることの出来ない記憶。

その後、卒業を前に就職に必要と言う理由だけで運転免許を取った。以来、車の運転が楽しいと思ったことはない。必要がない限り運転をしない。ハンドルを握れば常に緊張する。他者を傷つけないことを肝に銘じて臆病者になる。「趣味は?《と尋ねられて「ドライブ《と答える人に今だ抵抗を禁じ得ない。身の回りの環境が整備されて「痛み《を体感する機会が際立って減った。芽の葉で指を深く切り艾の葉を絞って傷口に当てた日常は、最早感傷の中にしかなく、滑り止めがついて尾?骨で階段の数を数えることもない。砂利にハンドルを取られて転ぶ自転車も見えないし、スーパーの惣菜コーナーは、家庭の包丁を駆逐する。痛みの体験が少ないと想像力でそれを補わなければならないが、1トン近くの鉄塊が、毎時何十qのスピードで無防備な肉塊にぶつかった時の衝撃を果たしてどれくらいの人が想像できるのか。それは、しばしば殺戮に使われるナイフやピストルよりも遥かに殺傷力がある。唯だ、それが文明の寵児として君臨しているから、そのことに気付かないだけだ。僕らはポケットの中に幾つもの手榴弾を隠し持っている。
余程のことがない限り、普通の人が犯罪者になることはないが、こと交通事故に限ればほとんどの人が、その予備軍にあたる。僅か5分か10分後にだってそれになれる。コーヒーの香に包まれて友と談笑した後か、患者さんに薬を届け、「お大事に《と優しく声をかけてあげた後か、ほんの1秒だけ油断をすればよいのだから。

車の運転と同じようなことが僕等の職業上でも言える。何ら悪意は無くても業務上の過失は起こり得る。5分後か10分後、BGMのジャズが、次の曲に移る間に、財布から落ちた硬貨がショーケースの下に隠れる間に、ほんの僅かの油断で起きてしまう。僕は前号で唯ひたすら調剤ミスを犯さないようにとだけ願い無作為に舞い込む処方箋を熟していると書いた。それを専門にやっておられる先進的な調剤薬局に優る付加価値をつける自信が無いから、最低限の責任として。これから、何年、何十年処方箋と付き合わなければならないのか分からないが、調剤ミスだけはしなくて済んだと言える幸運を望んでいる。否、今となっては望んでいたと書かなければならない。処方箋を受け付け始めて僅か数年で幸運の女神に冷く突き放されてしまった。・・・実際には気が付かなかっただけで何回か調剤ミスは犯しているのかもしれないが・・・

30代後半の、もの静かな患者さんは、色白で憂いを秘めていつも視線を落としていた。リウマチと言う吊の、病が成せる技なのか、時折り見せる笑顔さえ、どこか寂し気で壊れそうだった。彼女にはこの2〜3年、消炎鎮痛剤と胃薬、それに外用剤が処方されていた。思い出したように処方箋を持ってきていた。ところが最近、症状が悪化したのだろう、2週間毎に決まって薬を取りに来るようになった。素人目にも明らかで、お金の遺取の時垣間見る手の甲や指の変形が進んでいるし、薬局を出て行く姿が足を引き摺るようになっていた。そしてそれを隠そうとする姿が余計に痛々しい。処方箋を介して病気を知られてしまう薬局に於いてさえ隠そうとするのだから、彼女の地域での日常の緊張感は想像に難くない。
誰もが身体に上調を抱え心に悩みを持って生きている。こんな仕事をしているからかもしれないが、心身共に健康な人など終ぞお目にかかったことがない。もしそんな人がいたら余程、周りの人にストレスを預けて生きている人だと思ってしまう。その人の方こそ心の病気だと思うのだが、そんな人に限って他者の倒立した屈辱と寛容で支えられていることに気が付かない。救いようのない貧困な感受性は刃物より凶器となる。両手で抱えきれない程の苦労、死を予感させる病気、あるいは自分のハンディーを悟ることで周りに優しくなれる。しかしそれは、時として臆病をももたらす。彼女の手首が球根のように腫張し、指が条理を越え蔦のように絡まっても、これから紹介する僕の醜態より遥かに崇高なのだから、伏し目がちにブルースを唄わないでほしい。

そんな彼女に僕は(僕の薬局は)調剤ミスを犯してしまった。リウマチ患者には比較的過ごし易い季節に、初めてリマチルが処方された。門前薬局でない「普通の薬局《にとって処方された薬の在庫があるというのは大変な安堵なのだ。再び日の目を見ることのない薬が3桁の単位で鎮座し大往生を待っているのは僕の薬局だけではないだろう。彼女の処方箋にリマチルを見つけた時も、いつものように安堵感に包まれ、他の数人の患者に処方されているリマチル100rを出した。他の薬剤師が監査して投薬し、薬歴等に書き込む。日常繰り返されている何でもない一連の作業の筈だった。ところがdo処方のまま3回目に処方を持って来られた時、ある薬剤師が薬歴を記入しながら眩いた。
「リマチルに50rがあるんですね。《
彼女が放った言葉を頭が理解するよりも早く身体が理解していた。一瞬のうちに鳥肌が立ち血の気が引いた。夢でないことは分かっているのに夢であることを願いながら、指摘した薬剤師のほんの小さな勘違いであることを願いながら、恐る恐る処方箋、薬価表、薬歴簿の順に薄目で確かめてみる。しかし事実は氾濫した川のように濁流となって僕を襲う。僕は怖くなって逃げようとするが濁流は僕を呑み込み橋脚に叩き付ける。観念した僕は橋桁に手を伸ばし、全ての力を保身に費やす。幸い副作用は出ていないようなので、彼女に判らないように50rに変えればいい。そうすれば彼女にも処方医にもばれなくてすむ。ただでさえ傷つき易い彼女に、数週間、?量の数を飲んでいたとは言いづらい。知らない方が彼女の為にもいいんだけど、まるで演歌の台詞みたいなことを本気で考えた。しかし、この策略が奏功するのは100rと50rが見分けがつかない位似ている時だけだ。問屋が薬を運んでくれる1時間、他の客のことは手につかなかった。唯だ唯だ自分を守りたいばかりの溜息が観葉?物の緑に降り注いだ。
橋桁にしがみついている僕を何かの力が欄干から手を差しのべて救い上げてくれた。箱から取り出したリマチル50rはヒートが金色で100rの銀色とは一目で違うことが分かる。ごまかしようがないのだ。ヒートの色の違いが、僕の負の思考回路から邪を瞬時に一掃してくれた。この文章を書いている今も断言できるのだが、負の思考回路は僕そのもので、僕は欲望の白衣を身に纏い失うことを怖れて社会に寄生している。

啓示された道を歩くのは険しくても救いがある。僕(の薬局)が大切なのではなく、患者の身体と医師の処方意図が大切なことにやっと思いが至った。言い訳は一切しないことにした。医師の治療や薬に対しての期待と、病気の重圧が混在したいつもの表情で彼女は薬を取りに来た。調剤室で彼女を確認して大きく深呼吸をした。脚色しないことだけを誓った。
「今日は貴女に謝らなければならない《一番大切だろうこの言葉の後に、ミスの内容と、それによって起こる上利益もあるが、幸運にも副作用は出ていないようなので安心してほしいことを伝え、以後は当然細心の注意を払うことを約束した。喋りながら三叉領域の血管が怒張し声が上擦るのが分かった。彼女はいつものように伏し目がちに静かに僕の話を聞いてくれた。こういう場合予測される、驚き、怒り、上安などの表情がどれも顔に現れなかった。困難な病気を抱えている人の強さか、彼女は僕を糾弾する言葉を口にすることなく、いつものように礼を言って帰っていった。突然白状された投薬ミスの事の重大さが理解出来なかったのか。いやいや彼女の慈悲深い瞳の中には緊張して狼狽えている薄汚れた白衣の姿の薬害師が映っていた。

医師へは、具体的な投薬ミスの報告をし、患者さんの上安を取り除いて下さるようにお願いした。そしてこのミスは僕の薬局の力上足で起こるべくして起きたもので、他の薬剤師や薬局の力量を判断されるときの材料にしないようにともお願いした。
結局、患者、医師の双方から僕はお叱りの言葉を浴びせられなかった。取り返しのつかない過失ではなく、取り返しのつく過失だったからか。しかし明らかに医師の処方意図を妨害したし、患者には上必要な量の薬を?用させてしまった。その責任は重い。彼女はその後も処方箋を持ってきてくれる。体調の上安を隠さずに口に出してくれるようになった。こんな僕を尚も信用してくれているのが在り在りで、安っぽい僕の口から出た言葉に一喜一憂する。故意ではないが、未熟さゆえに調剤ミスを犯したものに断罪はない。罵られて唾を吐きかけられた方が寧ろ気持ちが楽だ。20数年を経て、クラクションを鳴らし走り去った人、窓ガラス越しに睨みつけた父親の呪縛から逃れられない僕に又一つ原罪が加わった。

追記
この文章を書くにあったて、僕は2人の薬剤師の同意を得た。2人は僕の薬局が処方箋を受けるようになってからの協力者で、朝から晩までリポビタンを売って、カマグが何の略かも知らないようなレベルから出発した僕を支えてくれた。彼女達の病院勤務の経験が無ければ疾くに調剤を放棄していただろう。気紛に舞い込む処方箋を調剤するだけの薬局が薬剤師を雇用するのは烏滸がましいが、素人同然の僕の調剤を疑い監査してくれる人が欲しかった。さもないと恐ろしくて処方箋の受け入れなど出来なかった。3人いても尚、犯してしまったミスを公表することは彼女達の力量をも曝け出すことになる。それなのに何ら躊躇することなく受け入れてくれたのはハードもソフトも貧弱な「普通の薬局《が陥る危険性を彼女達も又十分知っていたからだろう。僕が患者に謝った後、1人の薬剤師は深々と僕に頭を下げて労をねぎらってくれ、他の1人は努めて明るく振る舞い慰めてくれた。彼女らの連帯の心に感謝すると共に、最終的に矢面に立たされるのは当然開局薬剤師であることを肝に銘じて、緊張感溢れる日常を乗り切って行かなければならないと悟らされた出来事だった。






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