普通の薬局で在り続けるために(5)

(岡山県薬剤師会会報147 号掲載)

宝くじ

大和 彰夫

空調の冷気に閉じ込められていた汗が、アスファルトの上に降り立った主人の隙を見て一気に噴き出す。太陽は直角に降り、紫外線は糜乱した角膜から進入し太古の遺伝子を貫通する。季節は摩天楼の上に立ち止まり、オゾンに見捨てられる。これ以上、地球を食うなと山が言う。これ以上、地球を飲むなと海が言う。道路は川の下に潜り電車は空を飛ぶ。高層住宅から吐き出された生ゴミが、首を連ねるコンテナから溢れ出し腐乱臭を撒き散らす。公園に干された厚地のズボン。留守を気取るガード下のリヤカー一台。行き場のない老人が鳩の機嫌を伺う。仕事にあぶれた男達が安酒を呷る。
何処をどう歩いたのか分からない。駅を出て南へ下れば目的のビルに辿り着けると思った。山を背にしていれば方角を見失うことはないと思った。しかし「工事中」の連続では来訪者は歩けない。僕が迷い込んだのは大都会の静脈。吐き出された者達が身を潜めて暮らす場所。

ガラスの海を雲が泳ぐ。音も立てずに、エレベーターが僕を運ぶ。見知らぬ街で見知らぬ人と学ぶ。未知は無知に免罪符を与えず、時は無慈悲に加速する。講師の声がコンクリートの中で行き場を見失い不覚にも僕の項に軟着陸。薬業界のどんな集いに出席しても、極端に一人若かったのが、いつしか中堅になりやがて年長組になる。学んでも学んでも知識は砂時計のくびれを勢いよく落ちていく。
船酔いする漁師、メニエルの鳶職、虫の嫌いな百姓、内気なセールスマン、臆病なやくざ、公明正大な政治家、方向音痴のタクシー運転手、色白のサーファー、有機化学が苦手な薬剤師。偶然を必然と勘違いし、鞄一杯に気負いを詰めてレールの上を歩く。足を一歩踏み出す毎に、枕木がカタカタと一本外れる。開局薬剤師として見様見まねでやってきて裏切りの投薬は計り知れない。それでも僕の薬局が在り続けたのは土着の人々の寛容さなのだ。しかし地域を解体した時代の嵐は、小さな田舎でも吹き荒れる。今後、僕の薬局のように、何の取り柄も無く、人の情だけにしがみついている普通の薬局が生き残れる理由は無い。所詮僕等は陽光に駆遂される朝露の水滴一つ。循環の回路の門を潜る。

丹田に響く低い音は一体何の音。遠雷のようであり、何かの爆発音のようであり、大勢の人の呻き声のようだ。そそられて耳を立て近づくと、音は鼓動に共鳴し心筋を破る。高層ビルの玄関に作られた俄か舞台で和太鼓の演奏が行なわれていた。揃いの法被姿の男達が勇壮に太鼓を打ち鳴らす。両肌脱いだ大太鼓は、膝でリズムをとり、怒張した血管が激しく太鼓の皮にぶつかる。大太鼓の前に、横一列に並んだ中太鼓は一糸乱れぬ撥捌きで天を打ち地を鳴らす。竹笛が空気を鋭く水平に切る。二十才台であろう男達の眼は輝き、今朝出て来た神々の宿る山里の景色を映す。山が迫り、清流に魚が遊び、獣が顔を覗かせる。棚田の畦に腰を下ろし高い空に紫煙を吐く。絶えることなく流れ続けてきた血が命のリズムを刻む。
人垣の最後列で、爪先立って聴いていた僕の後ろを携帯電話片手に、埋没した精神が幾つも通り過ぎる。髪を染め心を染め装飾の限りを尽くした男と女。社会の寛容の下に辛うじて存在し、唯ひたすら消費するマシーンと化す。生産の喜びも価値も知らず、人と直接対峙することに臆病で電波を介してしか交通できない者達。田圃の泥を纏った青年の高揚した汗の味が彼等には判らない。いくら見上げても空は無い。

街一番の繁華街に立つ、どこから涌いて出てきたのか夥しい人の数。陸橋も歩道も人で埋まり、街が人の波の上に浮かんでいる。雑誌の表紙から、百貨店のショーウィンドウから抜け出してきたようなファッショナブルな若い男女が没個性の体臭を放つ。擦れ違う顔の殆どは美しい。日本人の骨格が変わってきたのか、アジアの顔からヨーロッパの顔に変わってきている。それにも増して内面は油の上に水が浮くぐらい変わった。ファミコンのヒーローを父とし、マクドナルドを母として育った彼等の精神は、倒産した工場に置き忘れられた土管のように空虚だ。

象牙色の空気が一日中澱む僕の薬局でも、波長の合わないとんぼが時々入ってくる。店の入口に車を横付けにする。逆に前客の車の後に車を付け出られないようにして、先に自分の買物をする。店に入って来る時に挨拶をしない。何が必要なのか尋ねても答えない。金を投げる。平気で割り込む。「お大事に!」と言っても無言で出て行く等々。他人と無関係の関係しか作れない彼等にも、仕事があり学校があり、恋人がいて、友人がいて、家族もあると思うのだが、恥かしげもなく世間を闊歩できる理由は何なのだろう。例えば買物をする時のように、お金を払うという言わば強者の立場から、逆転してお金を戴くという弱者の立場になった時、一体どんな態度をとるのだろう。せめて表向きだけでも慇懃な態度を装えるのか。それとも耐え切れずそそくさと尻尾を巻いて逃げ出すのか。昔、十才を少し過ぎれば大人になっていた時代があった。僕らは二十才位で大人になればよかった。しかし、現代は、親が長生きで金を持っているから三十才位まで子供でいても何ら差し支えない。豊かな親の庇護の下、自立を忘れたトンボが夕陽に宙返りする。

トンボの中に、これから薬大や薬剤師を目指す人がいるのか。何故、薬大を志望するのか、どんな薬剤師になろうとしているのか。親が開局しているから跡を継ごうとしているのか。研究室に入り創薬に携わりたいのか。役人になってダイナミックに行政を動かしたいのか。病院で見た薬剤師が知的で憧れたのか。学校の偏差値が少し良かったのか。不況に強そうだから免許だけ取るのか。医学部受験に失敗して、何となく似ている学部に転向したのか。

二十数年前、僕の仲間は殆どが医学部に手が届かなくて仕方無く薬学部へ来たもので占められていた。あの大学固有の特徴だったのかもしれないが、四浪五浪の兵も多く、入学と同時に四年生より年上なんてケースも珍しくなかった。もう少し頭が良く受験テクニックに長けていたか、もう少し家に金があれば殆どの者が医学部に行っていた筈。医療という枠で捉えれば良く似た学部だが、人間を学ぶ医学と薬物を学ぶ薬学とでは大きな違いがある。早晩僕等は授業に興味を失い、ある者は政治に、ある者は音楽に没頭し、ある者は博徒になっていった。僕等劣等生グループは、大学に籍だけは置いていたが、一日の殆どを薄暗い喫茶店の隅か、パチンコ屋のチューリップの前で過ごした。大学のミスマッチを何かの所為にしたくて、強いものには常に反発した。自分の弱さが、実際の社会的弱者と共鳴するなどと罪深い勘違いをしていた。僕等は全てに似非(えせ)・似非・似非だった。遺る方無い鬱憤を政治に向けていた。当時は、大声を上げれば届く距離に政治があった。

医学分業が進展したおかげで、薬剤師が圧倒的に国民の目に晒されるようになった。投薬時に何か指導しなければならないから、患者との権威に満ちた会語も数段増えた。薬剤師の仕事振りが体温と共に伝わってくるにつれ評価も上がってきた。化学が好き、人間が好き、そんな資質を持った若い人にのみ薬剤師の門が開かれることを望む。二十数年前、その門を潜ってはいけなかった一つの典型が、異常繁殖したトンボを道連れにして訴える。

無い無い無い無い僕の薬局がない。居ない居ない居ない居ない僕が居ない。大都会の繁華街、洗練された店舗が途切れることなく続く。僕のような小さな物欲は、歩くだけで満たされてすぐ消化不良を起こしてしまう。余程意識して頭の中で目印を付けておかないと元の場所に戻れない位、街は貧欲に肥厚している。この場所にやって来るまで、新幹線の駅から小一時間歩いたのに終ぞ薬局は見かけなかった。そして今、一番賑やかな所にいて放置された犬が帰る方向を伺うように行動範囲を広げているのに、主人がぽつねんと店に居て、時折りやって来るOTC客や処方箋客と取り留めの無い話をし、ストレスの一つや二つを置いて帰らせるような普通の薬局は見つけられない。全国的に名が知れている薬局が二つ見つかっただけだった。

一つは、町民だったか県民だったか、そんな感じの名前の店で、成功する店の手本のような薬局だった。田に水を引くようにアーケードの人の流れが店内に誘導される。塞き止めるものが何もない。一つ一つの商品の量はさほど多くはないが、狭い店内に、アイテム数は相当に上がるだろう医薬品や化粧品が所狭しと、しかも整然と並べられている。若い客と若い店員が醸し出す雰囲気は凡そ普通の薬局では味わえない。薬局とは賑やかで楽しい所と認識を改めさせられる。店内を物色しているからには薬が必要なのだろうから、どこか不調を抱えているのだろうが、誰もとてもそんな風には見えない。落ち込んでいるのは、品揃えの良さ、値段の安さ、店内の明るさ清潔さポップの見易さなどどれをとっても余りにも大き過ぎるギャップを見せつけられた僕ぐらいなもの。そんな僕を救ってくれたのは一人の若い女性店員。女優が白衣を着ているのかと見紛うぐらい美しかった。落胆が彼女には憔悴に見えたのか、物欲しげにショーケースを覗き込んでいる僕に
「何か、お捜しですか?」
と声を掛けてくれた。
この種の繁盛店に幾度か勉強の為に入ったことはあるが、あたかも意志の疎通を図らないことこそが客に対するサービスであるかのように口はハンドラベラーで封印されていた。よれよれのTシャツ、裾の磨り減ったズボン、親指が覗く運動靴、白いものが交じった無精髭、手櫛で整えた長髪。僕を、ノウハウを盗みに来た同業者とは見抜けなかったのか、大きな瞳で優しく見つめる。「ええ、ちょっと…」不意打ちを食らったのを隠しながら口から出任せの症状を並べて彼女に薬を選んでもらった。気が付いたら僕は大酒飲みで、ヘビースモーカーで潰瘍持ちのおじさんになっていた。「太刀打できる訳がない」親指が大きな口を開けて笑う。スクリーンから飛び出してきたような美女が優しく「お大事に」と言ってくれるだけで本物の漬瘍だって治ってしまう。仮病の二十や三十作って毎日でも通う。「何てことだ、僕は完全に客になっている」
翻って僕の薬局はどうだ。人の気配の無い薄暗い店内。「ごめん下さい」と許しを乞わなければ入って来られず、欲しい物を指名したら「こちらの方が良く効くよ」と言って在庫の多い方を勧められる。金を払っているのに「お世話になりました」と礼を言わなければ帰れない。そんな薬局に誰が来る。毎晩山から下りて来る狸でさえ、店の前を素通りする。

もう一つの薬局は、オフィスビルの一角にあった。片側3車線の国道に面し、丁度バス停が目の前にある。バスを待つ振りをし、店の前を行ったり来たりして時々中を覗いてみる。そのうち段々度胸がついてきて、横開きの自動扉を刺激しないように、ガラス越しにゆっくりと覗き込む。白衣姿で恰幅のよい年配の方が2人、本に目を落としながらカウンター内側に腰をかけていた。二人共揃って銀髪で何故か人形のように動かない。壁には彼の有名な赤と白でデザインされた漢方薬が、あたかも装飾品のように並べられていた。
「ここがあの有名な漢方の総本店か。市場さえあればこんな発想の店も可能なんだ」
と感慨に耽りながらも、廃屋が目立ち始めた海の見える町に吹く潮風に恋慕する。客は先生の前に腰を掛け、手荷物をカウンターの下にそっと置くだけで治る力が沸々と涌いてくるのかもしれない。僕の前に腰掛けるや否や後悔し始める客とは大違いだ。

繁華街で個人の薬局を見つけるのは難しくなっている。地方都市でもそうなのだから、この大都会では尚更だ。個人の薬局は何処へ追いやられているのだろう。場末の商店街か住宅地の中か、あるいはもう追憶の中か。そして又将来、いつ其処を追われるかもしれない。今日僕は2つの繁盛店を見つけた。どちらの真似も出来そうにない。大きな資本を掛けて、片や感性を売り、片や知性を売っている。親切とか真心とか、追い詰められた者が慰めに口にするそんな抽象論で生き残れる程、消費者の心は飢えてはいない。だってコンピューターは人の心をも支配下に置いて、曾て人に心があったことすら忘れさせ始めているのだから。

大当たりが良く出るという売場で宝くじを買った。是が非でも一等が当たって欲しい。当たれば薬局を直ぐにでも止めたい。風邪は美人のいる薬局で、心の病は銀髪の先生のいる薬局で治してもらう。早晩、田舎にも大手チェーンの野望がやって来て、OTCも処方箋も根刮持って行ってしまうだろう。蝋燭の炎が隙間風に弄ばれたあげく消えるのを待つよりも、惜しまれながらパッと消えたい。その為には宝くじしかない。僕は帰りの電車賃と缶ビール代を残して財布の中味を夢と交換した。 歩道橋の上で、一定の間隔を置いて数人の少年がギターを抱えて歌っている。車の騒音に歌声を消されまいとして顎を突き出し喉を絞って歌っている。足を止めて聴いてくれる人はいない。何を求めて何を期待して何を訴えたくて街に座るのか。僕は缶ビール片手に少年達の前に陣取る。何処かで聴いた曲ばかりが続く。
「自分の言葉で唄え、自分のメロディーで唄え!」
と言いたくなるが、排気ガスの中に嘔吐する孤独を追い詰めることは出来なかった。
突然、耐え難い爆音が歩道橋を真二つに裂く。少年2人が乗ったオートバイを数台のパトカーが追い掛ける。オートバイは追跡を嘲うように車の間を縫って走り、突如Uターンして逆走する。足も止めない観衆の前で三文芝居を上演する。大根役者は観衆の冷たい視線を浴びて孤独なエンジン音を空しく響かせる。ある運転手が、一瞬怒りを抑え切れずハンドルを切るのを躊躇えば彼等は先ず死ぬだろう。どうして誰も彼もこんなに寛容なのだろう。静かな夜を返せと誰も言わないのだろうか。都会に静かな夜は必要ないのか。僕は疾っくに心の中で2人の少年を殺している。

あたかも膨張を宿命づけられているかのように為政者はショベルカーのハンドルを握り続ける。田舎から見れば便利を極めているこの大都会で、空港が欲しいと言う。これ以上便利になってどうしようというのか。もっと働くのか、もっと遊ぶのか、もっと得るのか、もっと失うのか。地球を食うなと山が言う。地球を飲むなと海が言う。人も物も飽和した街。地球が逆襲した街。僕は飲み干したビール缶を夜空に向かって投げた。その時、摩天楼の逢か上空を断層が西に走り、潮の香りのする町で止まった。
想いのページ