転倒日誌 2006(NO9)

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5月11日
あるホテルの喫茶部で、僕とAさんとBさんの三人で会った。Aさんは十数年ガス漏れで悩んでいる。Bさんは数年口臭で悩んでいる。口とお尻の違いはあるけれど、驚くほど症状に共通点がある。
 引きこもりがち。公の交通手段を利用できない。他者に迷惑をかけていると心配する。人と接近した場所が耐えられない。視線が気になる。食事がのどを通りにくい。 人が鼻に手をやるのも、くしゃみをするのも、咳をするのも全部自分のせいだと信じている。
 AさんとBさんは初対面でお互いを知らないし、ましてお互いの症状なども知らない。個別に僕と会うことを希望したので、僕が敢えて三人で会うようにセッティングした。それぞれは僕と個別に会うつもりだったから、三人になったことに戸惑っていた。しかし僕は意図したことだから、何食わぬ顔をして楽しく三人の初対面を楽しんだ。

 2時間くらいたった頃、おもむろに僕は二人の症状をお互いに知らせた。二人とも驚いていた。今まで2時間、至近距離で会話をしていたが、まさかなにか体にトラブルがあるとは思ってもみなかったらしい。僕が、お互いに相手の症状を当ててもらったのだが、二人ともお互いを単なる健康な人が同席したものと思っていたらしい。職場で、公共機関で遠く離れたところにいる人にまで、自分のおならや口臭が届いていると悩んでいたはずなのに、わずか数十センチメートルの距離にいる人が自分の症状を当てられない。話しつづけているから口臭は漂ってもいいだろう、ずっと漏れていますと言うからおならの臭いはしていてもいいだろう。しかし、2時間、なにの不快な気配はない。
 二人は、お互いを気遣って、なにもないというのでしょうと言っていたが、なにも気遣わずに本当のことを言い合える環境を僕が作ったのだ。お互いの懸念を否定されてもなお二人は、自分の口臭とガス漏れを否定できなかった。相手の症状は自信を持って否定してあげたのに。その後2時間場所を替えて、昼食を取りながら話した。

 僕と二人だけなら、僕が気を使って慰めを言っているように思われるから、折角の面会が無駄になる。だから僕は三人で会うように考えた。僕は治し屋さんになりたいから、慰めなんかは口にしない。欲しいのは事実だけなのだ。わずか4時間で長い歳月のトラウマが消え去ることはないだろう。僕は、単なるうったてだと思っている。僕はつまらない人間だが、こと薬を選択する瞬間だけは善良でありたいと思っている。僕が言ったこと、お互いの嗅覚、お互いの言葉、全てを信じあって欲しい。信じなければ信じられることもない。良い言葉は良い耳を持たなければ聞こえない。良い姿は良い目を持たなければ見えない。僕はAさんとBさんの痛々しいほどの善良さを信じている。 いつか又会える。その時は堂々とした態度で会いたいものだ。
4月24日
 食事をしながらテレビをつけていると偶然、反復性腹痛(過敏性腸症)について、やっていた。大学の教授が説明をしていた。学校に行けない子供を前にして狼狽した親が、ドクターショッピングをくりかえすらしい。親にとって都合のよい答えがないものだから、親が都合のよい答えを求めて病院をはしごするらしい。内視鏡でもして、どこどこが悪いですと言ってもらえれば安心するらしいが、病巣が確定出来ることはほとんどない。ないものを求めて親はあちこちの病院の門をたたく。

 ここ数日、ガス漏れは本当にないのですかという質問が続いている。この質問も僕はドクターショッピングと同質のものを感じる。「あります」と答えれば一番好感を持って受け入れられるのではないかと容易に想像がつく。しかし、僕はないと答える。ガス漏れを証明出来たことがないからだ。ガス漏れを訴えている人はわんさといるが、実際に、傍にいたり、車に乗ったり、時には実際に臭ったりしても、一度もガス漏れと遭遇したことはない。僕は芸人ではないから受ける必要はない。縁あってお世話する人が苦しみから脱出してくれればいい。だから客観的な事象だけを信じることにしている。オーラの何とかとか、顔が震える自称占い師の世界ではない。1日中漏れますと言っていた人でも、治ったら、どうして長い間あんなことを信じていたのでしょうねと言う。分かってくれないと僕を責めた人でも、謝ってくれる。

 ガス漏れを確信している人は、自分以外のガス漏れの人に会ったことがあるのだろうか。こんなにたくさん苦しんでいる人がいるのに、何故遭遇しないのだろうと考えたことはないのだろうか。自分のことは主観の塊で眺めてしまう。他人なら冷静に見ることが出来る。主観をひとまず置いといて、客観的な事実のみを信じる癖をつけたらどうだろう。人が鼻をすすろうが、咳をしようが、何故そのような行動をとったか確かめた時だけ、評価の対象にすべきだ。私のせいで・・・などにはなにの重みもない。人に言うべき出来事でもない。

 僕がお世話して過敏性腸症候群が治った100人くらいの人の中で、ガスが漏れていると長年苦しんだ人は9割くらいいると思う。お世話した経験から、心と内臓の過緊張が取れた時に初めてガス漏れは治ると思う。心だけでもだめで、身体だけでもだめだと思う。なんとなく身体も心も楽になった、そのようにして回復に向かっていく。そうなると長年信じていたことも、ふとおかしいな、有り得ないだろうなと気がつくみたいだ。
 このような僕の治療は、完治した人数と同じくらいの治らなかった人達の犠牲の元で生まれてきたものだ。その人達がドクターショッピングを繰り返していないことを望む。
2月26日
帰っていった若き友人へ
 貴女は気付いていないと思うが、実は今日3度、僕は涙を流したのです。教会で貴女の真後ろに席を取り、貴女の希望通り、貴女のガス漏れを確認しながら神父様の説教を聞いていたとき。神父様が「人生には沢山の苦難がある。苦しいことや辛いことばっかりの人生・・・」と言われた時、僕は貴女のことを考えてしまい、この華奢な後ろ姿の女性の苦しかっただろう青春に思いをはせたのです。キリストが荒れ野でなにも食べずに過ごした日々に、悪魔から一切の権力、繁栄を約束された誘惑を退けたくだりの時に、この女性に、幾多の幸福への誘いがあり、そのほとんどを拒絶してしまったのではないかと思ってしまったのです。

 2度目は、貴女が頭を下げ、僕が敬愛する神父様から祝福をして頂いている姿を席から見た時です。僕も妻もすべての五感を動員して貴女のガス漏れを探求しました。特に僕も妻も2泊3日の間に、貴女が要求するすべてのことをやりました。貴女の座っている座布団やじゅうたん、貴女のお尻、車の中の数時間、教会の人の中、繁盛してごった返していたうどん屋の中、貴女が漏れたと言う一瞬の誤差も逃さないように。僕がお世話している他の人達の訴えと全く同じ感覚を共有していても、やはりガス漏れは存在しない幻の「思いこみ病」でしたね。貴女みたいに優秀な学歴を持っている人だって、自分のこととなるとここまで追い詰められるのだと僕は驚きました。貴女の恵まれた才能が制御を失っているかのようにも見えました。僕は薬剤師として、すべてを尽くしました。後は、神父様の愛を頂いて欲しかったのです。貴女の頭を優しく大きな手で覆い、神父様は貴女の幸せを祈って下さいました。聖堂の中にいる全員のところに回ってこられ、温かくて柔らかい手で握手をし「愛しています」と貴女にもおっしゃって下さった。僕は勿論、聖堂の中にいる全員、貴女を「愛している」のです。僕達は「愛される」ことより「愛する」ことを目指しているのです。

 3度目は、貴女がゆっくりと岡山駅の新幹線構内をエスカレーターで登っていくのを最後まで見送った時です。これが貴女に会う最後になるかもしれません。貴女が完治して僕が必要になくなれば会うことはありません。貴女が失った青春を取り返し、充実した人生を歩んでくれることを手を振る貴女に心から祈っていました。消えていく貴女の姿は、僕が愛する娘と同じ姿でした。娘を見送った記憶と重なって涙が止まりませんでした。貴女の苦しい歳月は、失ったものばかりではありません。貴女が失ったものは取り返しがつくものばかりです。お金や物を利用すれば取り返せられるものが多いはずです。貴女と一緒に暮らした3日間で貴女が僕達にくれた感動は、貴女が苦しかった歳月のうちに身につけたものです。無形の愛を貴女は得ています。貴女が得たものはどんな秤や物差しでも計れません。ただ貴女の得たものは、微笑みや涙ではかれる愛に満ちた心です。

 貴女を見送って帰ると、我が家は一人の住人を失ったように静かでした。貴女がいるほうが自然なような錯覚に陥りました。ガス漏れがいかに作られた「幻肢痛」か僕は今回のことでも確認できました。やり残したことはないくらい一緒に検証をしました。帰ってから不安に陥ったときは3日間の出来事を思い出して、客観的事実のみを追求するように心がけて下さい。
 遠くの空の下、貴女の幸せを祈っています。楽しい時間をありがとう。
2月7日
 この話は、本人の承諾を得ている。過敏性腸症候群、とくにガス型の人は読んで一考して欲しい。

 甲信越地方から一人の青年が訪ねてきてくれた。彼は小学生からのガス型だから16年の病歴(?)だ。中学高校と気がつかないうちにガスが出てしまい、陰口を言われいじめられたそうだ。そして人が近くにいると、極度に緊張をし冷や汗が出、めまいが起きたりしてパニックに陥る。ことあるごとに予期不安におちいる。このような状態で生活の質を保てられるはずがない。神経をすり減らして頑張ってきたのだろう。
 彼には煎じ薬と粉薬を飲んでもらっている。東京で資格試験を受けたのだが、前日も、前前日も電話をくれた。試験が済んで、僕と話してみたくなったみたいでわざわざ訪ねてきてくれた。
 1泊2日だったので、ゆっくりと濃密に色々な話が出来た。身体のことだけでなく彼の進路についても話すことができた。僕にはあらゆる情報が宝なのだ。彼を治すのに不用なものなんかない。薬局の中で彼は僕のホームページのアップの手伝いをしてくれた。その時に偶然やってきた女性が、過敏性腸症候群の患者さんで、去年の8月に1週間分の漢方薬で改善した人だ。僕は大げさな病気の説明をしないから、当人は過敏性腸症候群なんて自覚はない。だから簡単に治る。青年は僕と患者さんのやり取りを聞いていて、同病だとすぐ分かったらしく、まして難しい話をなにもしないで薬が作られて渡されたことに驚いていた。患者さんはおばさんだから、気楽に青年に話しかけて10分くらいは話しこんでいたみたいだ。甲信越からわざわざ来ていることをとても驚いていた。彼とは、相談机を挟んで話もした。妻の車で牛窓を見物もした。ホームこたつを囲んで食事もしたし、お茶も飲んだ。かなり長い間、恐らく本来なら彼が苦手とする状況で一緒に過ごした。彼は若干は心配になったみたいだが、勿論ガス漏れなんかあるはずがない。僕は彼が邑久駅から妻の車でいっしょにやってきた時から分かっていた。いや、本当ははじめて相談のメールで送られてきた問診表を読んだ時からわかっていた。

 本題に入ろう。僕はカウンセラーではないので、彼を心地よくさせようなんて全く思っていない。ただ、折角来てくれたのだから事実だけ見つめてみようと心がけていた。核心のガス漏れについて、彼に尋ねた。陰口を実際に言った人に、真意を確かめたのか。答えはNOだ。彼の想像でしかないのだ。ただ彼が一度だけはっきり言われたことがあるらしい。それも実のお兄さんから悪意を持ってではなく、自然に言われたらしい。彼はそのことがトラウマとなっている。いじめでも悪意でもない指摘に一瞬僕は戸惑ったが、絶対にガス漏れはないと信じている僕は彼に質問した。「季節はいつだったの」彼は記憶をたどって答えた。「夏です」「窓は開けていたの?」「はい、開けていました」そこまで答えて彼はあることに気がついたらしい。「僕の家の前は、牛を飼っている人がいてその臭いがよくするんです」僕が解説するまでもなく彼は気がついた。開け放っている部屋にいた彼は牛の糞の臭いは慣れていた。そこへ入ってきたお兄さんは、はじめての臭いだったから、臭いと感じた。逆にお兄さんがその部屋にずっといて、彼が入ってきたなら、恐らく彼が同じ印象を持っていただろう。冷静に考えればこんな誤解をする必要はないのだが、体調が不良だったりすると、私のせい、僕のせいになってしまう。こんなたわいもない誤解で青春を無駄にしないで欲しい。青春の落とし穴は大きな口を広げて待っている。誰が落ちてもおかしくないくらいな大きな口を。だから悲鳴を上げて。一人で頑張らないで。失敗体験の多さなら負けない大人が回りには必ずいるはず。不恰好に生きている大人が必ずいるはず。格好よく生きないで。不恰好に気楽に生きて。失うことは怖いことではない。身軽になって。心地よい解放感が待っている。

 青年から今しがた無事帰ったとの電話があった。もう受話器の向こうに確かな彼を想像しながら話が出来る。帰りの新幹線や電車は気楽に乗れたそうだ。恐らく彼は早いうちに完治する。彼もその手応えを感じていると言っていた。最近僕が皆さんに言っていること。治るのは漢方薬半分、事実の追求半分。まさに彼はそれを実践しに来た。気持ちのよい好青年だった。
12月27日
愛する皆さんへ
丁度1年間、僕はクリスチャンになるために教会に通い勉強を続けてきました。晴れてクリスチャンになるための儀式が24日のクリスマスの日にありました。教会では毎回、人の前で聖書の一部を朗読します。24日は、洗礼を受けてクリスチャンになったばかりの僕にその役割が突然言い渡されました。僕は基本的には頼まれたことは断わりません。だから聖書朗読もすぐ快諾しました。夜の7時のミサに読むことになります。7時間前のことです。快諾した後に、僕はふと、そう言えば、人前で本を読むことは苦手なのだと思い出しました。40年近く前、教室で本を読んでいる途中で声が震え、時間が止まったかのような屈辱を経験してからのいわば久々の朗読です。その間大学で少し英語を読んだ事があるような記憶はあるけれど、本格的に読むのは何10年ぶりです。式が始まるまでの7時間のうちで、意識してしまい、緊張感に襲われることが何度かありました。しかし嘗てのように、逃げ出そうとは思いませんでした。うまく読めるかどうかは分かりませんが、僕より数段飛びぬけて知性がこぼれるような人もいないし、どう見ても誰も同じ人間にしか見えません。僕がうまく読もうが読むまいが、5分もそんな事、頭の中に残りはしないでしょう。それとせっかく洗礼を受けたのに、うまく読めるか読めないかなどと問題を本末転倒して、どうでもいいことに意識を集中させるのは、敬虔な他のクリスチャンの方々に失礼だと思いまいた。大切なことは聖書に書かれている言葉の意味です。僕がうまく読めるかどうかなんてなんの意味も持ちません。また、これは僕特有の理由ですが、あれだけ予期不安の方を治しているのに、自分がそれでは仕方ないと強く思いました。だから僕は自分がどうなるか見極めなければならないと思ったのです。朗読の前後の僕自身をすべて受け入れ、客観的に記憶しておこうと思いました。それが、貴方や他の方の役に立てれると思いましたから。
 席の1番前に腰掛け、朗読の順番を待ちました。隣には、僕と同じように洗礼を受け早速朗読も指名された同年輩の女性も座っていました。そわそわと落ちつかなくて、式も上の空のようでした。僕に小声でいろんなことを質問してきました。僕は彼女の緊張をとるように冗談を言ったりしました。勿論僕もそれなりに緊張しているのです。彼女にはない過去のトラウマが僕にはあります。内心とは裏腹な行動をとっているのです。しかし、僕は彼女を落ちつかせたかったのです。僕がうまく読んでしまうと後の人が大変だろうななどと、ありもしない状況を考えたりもしていました。なんてうぬぼれが強いのでしょうね。また、皆さんに教えていた呼吸法を実際にやってみようと思ったけれど、さすがにそこまでして朗読する必要も感じなかったのでそれは試しませんでした。促されて壇上に上がり読み始めました。まずまずの出だしだったと思います。うまくもないけれど、漢字に詰まることもありませんでした。緊張は していますが、数分無事に読み終えました。何10年ぶりの本読みです。人前で本が読めなくなって、僕が失ったものは何でしょう。その為に志望校に落ちたのでもなく、その為に友人をなくしたのでもなく、その為に転落した人生を歩んだのでもありません。実は失ったものなど何もないのです。今思えば、その為に多くのものを得ました。浪人して下から世の中を見るきっかけを得ました。輝くと言うことは、飾ることではないとも知りました。勇ましい言葉や、きれいな言葉の裏側を読むことが出来るようになりました。胡散臭いお金や肩書を信じないようになりました。実はその頃僕は、今の僕が僕である立脚点を探し当てていたのです。失ったからこそ得たのです。歯止めを失った自尊心、ナルシシズムは、ある時期僕を苦しめましたが、苦しんだお蔭で自分の存在理由と言うもっと崇高なものをつかんだのです。貴方の今の心境は、青春時代の僕の心境と完全に一致します。いや、現在の僕とも、また隣に座っていた女性とも一致します。こうして生きてくるとみな一緒と言う真理を数多く目撃するのです。貴方の予期不安は、誰もが共通に持っているものです。
 僕は本読みが出来なかったことを克服する為に、10年間くらい人前で歌いました。何百人いてもギター1本で2時間くらい歌えます。又漢方の講演だったら原稿無しで、2時間くらいなら今すぐにでも出来ます。それでも本読みは緊張しました。僕は今回のことで以前から気づいていたことに自信を持ちました。それは、予期不安を克服する最高の方法は、圧倒的な自信を持って現場に臨むということです。僕は歌は、当時1日数時間は毎日歌っていました。僕の詩で僕のメロディーです。どこにも存在しない歌です。僕は社会に訴えたいことを持っていました。うまくなくても訴えたいことの内容には自信を持っていました。漢方薬についても、20年、毎日何人もの方の相談にのっています。学者ではなく現場にいつづける強みがあります。もし努力の結果、自分で評価出来る自分がいたら予期不安はなんなく克服できます。もし不安を持って臨むならそれは努力不足です。では、僕の朗読のようにトラウマになっている分野の予期不安の克服方法はどうでしょう。それは一にも二にも、現場に多く接することです。現場でしか治せないことを胆に銘じ、漢方薬を最初は飲みながらでもいいから、現場に出て、少しずつ暴露の時間とレベルを上げていくことです。僕はこれからも進んで朗読をします。これさえ少しの緊張もなく出来るようになれば、もう過去のトラウマとお別れ出来るのですから。ただ、僕はトラウマの出来事の以前は、目立ちたがりやのつまらない少年でした。トラウマは克服しても、あの頃の人格には決して戻りたくありません。教室をそっと抜け出していたような蔭がある人間でいつづけたいと思っています。誰も僕が太陽のように輝いて欲しいとは思っていませんから。僕は、夜道を微かに照らす月明かりのような存在でいいのです。
12月23日
 昨夜のメールで、ある方から嬉しい報告が届いた。妊娠のお手伝いを漢方薬などでさせて頂いていた方が、妊娠したと言う報告だ。僕は思わずパソコンの前で小さくガッツポーズをした。と言うよりしてしまったと言うほうが正確だろう。最近は、漢方でお世話をして、治って下さった時の喜びも、治せなかった時の落胆も一人で受けとめることにしている。お蔭で喜びは小さく、悲しみは深い。元々楽天的とは程遠いし、いやいや根からの悲観主義者だし、精神は蜘蛛の糸のように細いから、薄氷の上を渡っているような精神状態で日々仕事をしている。呼吸をするのも大きな作業のように感じられるし、こみ上げてくる焦燥感にいつも怯えている。
 多くの相談を毎日受ける。直接、間接を問わず、全員に等しくお返しをしようと心がけている。僕の最大の欠点は、皆さんにとっては最大の長所なのかもしれない。日替わりで襲ってくる体の不調も、心の不調も皆さんのための試練なのかもしれない。快適な老後など想像も出来ない。どれだけの不安を抱えて生きていくのだろうと常に不安が頭を過る。多くの相談者の方と、不幸を競うつもりはない。多くの方に僕は明らかに負けているから。想像を絶する不幸をそっと教えてくれる人も増えた。僕に解決する能力はないが、守秘義務を課せられている職業柄、僕のところに溜めておくことは出来る。僕には癒す能力はない。ただ30年薬剤師を続けてきたお蔭で若干の僕なりの解釈を病気に対して下すことが出来るようになった。僕の漢方薬と、客観的な判断、そしてもって生まれた「薄情」が皆さんの役に立つことがある。
 昨夜のようにご本人と一瞬でも喜びを分かち合うことができれば、刹那の解放を得られる。しかし、次の瞬間は、まだ子宝に恵まれていない数組の夫婦のことが気にかかり、申し訳なく思ってしまう。許して欲しい、許して欲しい。
11月29日
Nさんへ 僕の拙いホームページを見て下さっているのですね。僕が、過敏性腸症候群の方を泊めてまで治っていただこうとしているのは、僕の非力のせいです。僕は一田舎の薬剤師で、カリスマではありませんから、コツコツと縁が出来た人を治していかなければなりません。僕に能力があれば病名を聞いただけで薬を送り治せられるのでしょうが、僕にはそんな神通力はありません。だから懸命に情報のやり取りをします。メールの段階で治らないなら、電話、電話でも治らなければ直接会って、一杯話をし、いっしょに行動し五感で情報を収集するのです。彼ら彼女らの思いと、事実の乖離を埋める事も大切な完治への作業なのです。過敏性腸症候群と言っても、症状も成り立ちも本当に様々です。その様々を理解する努力がないと本当のお世話は出来ません。最近何人かの方に泊まってもらい気がついたことがあります。正しい情報を得ていないということです。情報に慰められるのは刹那の安らぎにはなります。しかし、心地よい分そこに留まってしまい、治癒への道が歩めません。僕の職業で何が辛いかと言うと、薬をお出しした人が、効果がなかった場合です。いかにそのような人を少なくするか日々考えつづけているのです。泊まりに来ていただくのも実はそう言った人を一人でも少なくして、僕自身の心の健康を守ろうとしているのかもしれません。  貴女が冊子を作り、それを読んだ人が少しでも救われるといいですね。過敏性腸症候群は治るトラブルだと言うことを発信して下さればありがたいです。




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