普通の薬局で在り続けるために(1)

(岡山県薬剤師会会報142号掲載)

ジーパンとルーズソックス

大和 彰夫

時速200kmで走る車窓の景色は、記憶の中 で完全に静止し、アルバムを一枚一枚捲るが 如く語りかける。思い出したくないことばか り黒いカバンにつめて、2昔前、同じこの線 路の上を西へ向かって走った。

肩より、はるか下まで伸びた髪を切り、結 び方も知らないネクタイを就職試験前夜後輩 にしめてもらった。眠ると服装が乱れるので 後輩達を徹夜でマージャンに付き合わせた。 夜が白む頃、煙草の脂でベトベトの肺胞に忍 び込む冷気に咽びながら駅への道を黙々と歩 いた。大学と言う名の楽園から追い出される 男への憐か、彼等は音に言葉を乗せるのをた めらっていた。1年後、あるいは2年後の自 分の姿を着せ替え人形のように硬直した僕の 姿に重ねていたのだろう。
有名女性下着メーカーの看板を羨ましく横 目で眺めながら、隣の無機質な製薬会社へ入 る。控え室で何社も受験してきたという他校 の学生達の話を聞いた。就職するということ は、そんなに大変なことなのかと、他人事の ように聞いていた。名前を呼ばれて面接室に 入ろうとした時に、人事課長が半日にも及ぶ 忍耐のネクタイを直してくれながら、僕の採 用が既に決まっていることを耳打してくれ た。その延長戦だったのか面接ではくだらな い質問を受けた。余りにもくだらないので今 でも覚えている。「君はハンサムだから、も てるだろう」「医者と休日にはゴルフをしな ければならないけれど出来るかね?」年配者 から見れば、余程バランスが崩れていない限 り若者は皆ハンサムだし、日本の狭い国土で、 広大な山野を鉄の爪で削り農薬漬けにして金 まみれで成り立つスポーツを何故、意に反し てしなければならないのか。そして何よりも 採用にあたって透明性のないやり方が許せな かった。一縷の望みを抱いて同席した他校の 学生達の革靴の摩耗が僕を弾劾する。岐阜へ 帰ると直ぐに世話をしてくれた教授に断りの 電話を入れた。
当時はフリーターみたいな軟弱な言葉はな かったが、要は遊び人として社会に寄生しそ うな僕を、ある教授が某大学の附属病院に世 話をしてくれた。4月のある朝、白衣姿の紳 士達の前に、10人ぐらいの新卒と共に並んだ。 何故か紳士達も、僕以外の新卒も白衣を着て いた。・・・僕は、初日は白衣はいらないと連 絡を受けていた。・・・ある紳士が
「腰かけたまま端から順番に自己紹介をして 下さい」
と僕に促した。指示通りに腰かけたまま自 己紹介をしようとした僕を遮ったのは、恐ら く一番地位が上の紳士。
「自己紹介を何で腰かけたままするんだ?何 故君は白衣じゃないんだ」
ヤクザの言掛じゃあるまいし、片や、腰掛 けたままでと言い、片や立てと言う。今の僕 なら両者の中間をとって中腰ぐらいで挨拶し て茶化してやるのだが、当時の若さでは、拳 を固く握りしめるしかなかった。屈辱の面通 の後、直ぐ辞めることを決意し翌日実行した。 何がその人に、あんなことを言わせたのか、 職場の権力争いか、家庭のストレスか、それ とも単に頭が固いだけか。しかし、少なくとも 一青年が謂も無いことで心を傷つけられたこ とは確かだ。たぶん、その人は職務を立派に 全うし今は一介の老人になっているだろう。 権威を剥ぎとられて、どう言った価値感で暮 しているのか尋ねてみたい。
文部省が決めた内容を人より少しだけ多く 記憶し、問題を解くテクニックが少しだけ旨 いことで大学が決まり、その大学の名で就職 が決まり、権威に頭を下げた分だけ収入が転 がり込んでくる。世の中、基本的には、こん な単純な公式が今だ支配している。この公式 から逸脱して成功した人は「大したヤツ」で、 逸脱して失敗した人は「自業自得」世の中す べて数字に換算されて評価されるようになっ たので有難い。無数の言葉の交通があって理 解が生まれ、評価が生まれるのに数字が支配 する世界は単純で、それこそ割り切れてわか り易い。沢山の支店を持ち、沢山の従業員を 雇い沢山の処方箋を獲得し、沢山売り上げれ ば沢山の利潤を得、沢山のものが手に入る。 沢山は沢山を生んで又沢山を沢山つくる。そ してたぶん、ほとんどの人は「もう沢山」と 食道に詰まらせた沢山で窒息して飽食気味の 人生を終える。
僕が、生まれ育った町に帰ったのは、希望 に夢を膨らませて……ではなく、許せないこ との中に身を委ねることが出来なかったとい う単純な理由からだ。

正月のアメ横は、故郷を持たない着張れし た人達で溢れ、まるで腸管に詰められた肉の ようだった。威勢のよい兄ちゃんが、これで もか、これでもかと消費を煽る。物でしか解 放されない人々がポケットに手をのばす。必 要でないものの生産を全て止めれば、この国 は失業者で溢れる。ゆとりと言う名の無駄で 支えられているこの国の象徴的都市、東京。
居並ぶ店舗の中で、マツモトキヨシは一際 人集がしていた。千葉県の、ある街に住む姉 を訪ねる機会に有名なこのドラッグストアー を是非見学してみたかった。噂に違わぬ繁盛 ぶりで、狭い店内に入るには体力がいる。通 りで見かけた老人の姿は店内にはない。およ そ薬局などとは縁のなさそうな若者が多くを 占める。白衣姿の中年の男性(たぶんこの人 がチーフだと思う)と、他の若い2人の男性 がレジを打ち続けていた。同業者だと見破ら れる懸念もない程の混雑の中で、取り扱い商 品の種類と値段を勉強させてもらった。業界 紙の活字では伝えきれない確かな時代の流れ を目の当りに見た。ついさっき、上野の公園 で弱々しい太陽を盗んでダンボールで風を遮 っていたホームレスの人達の悟りきったよう な視線と、眼前で繰り広げられる凄まじい商 行為が僕の頭の中で交錯する。これが東京な のだと電信柱の上でカラスが笑う。
20年振りに降り立ったその駅は、正面を巨 大なホテルに塞がれて、自ずと南へ下る商店 街に誘導される。都心から恐らく駅毎に同じ ような顔をした街が数珠玉のように連なって いるのだろう。新しい年が明けても昨日を今 日で置き換えるだけの人々が往き交う。ここ は生きる街ではなく暮す街。20年前には、遠 くの高台に姉の家を見つけられたのだが今日 は、幾つものビルに遮ぎられて空の広ささえ 失っている。一直線に延びた商店街を端まで 歩くと回れ右をする。通りには、チェーン店 か個店か分からないが、数軒のドラッグスト アーと一軒の漢方薬局があった。ドラッグス トアーはどの店も画一的な表情をしていた。 商品は豊富で、簡単な薬の説明と値段が表示 されていて素人の人が容易に選択できる。客 は駅に近いほど多く、外れるに従って目に見 えて減少する。ドラッグストアと言えども客 が入っていないうす暗い店もあった。日に焼 けて放置されたポスターが迎えてくれる漢方 薬局は、店の人の気配もなく街の呼吸からも 取り残されていた。
商店街の南に、どこまでも広がる家々。20 年前に幼い甥達とキャッチボールをした草叢 はもう無い。疲れ始めた一戸建てと、新しい マンションが共存する成熟した巨大住宅地。 記憶では解決しない迷路でSOSを発し辿り着 いた姉の家は、彼女の顔と同じように20年の 歳月を刻んでいた。
年金生活に入った夫婦の家からは華やかさ が消え、遠く訪ねてきた薬剤師の弟の為に美 味しいコーヒーをたててくれながら、2人が 服用している薬がテーブルの上に並ぶ。パソ コンで打ち出された服薬指導書を見せながら いつまで服用しなければならないのか尋ね る。片や脳梗塞。片や変形性膝関節炎。病気 という名の老化に惑い心を傷めている。
ほどなく、僕の足がわりに都心から帰って きた甥に促がされて家を出る。一番流行って いる薬局を見せてくれるそうな。街の早い夕 暮れは正月の道路をも車で埋める。切れ目の 無い家並。道標のように郊外型の大型店が次 から次へと姿を現わす。落ちた砂糖に群がる 蟻のように人が吸い寄せられ又、去っていく。 個人の店などまるで存在し得ないかのような 街。甥が案内してくれた一番流行っている薬 局は又してもマツモトキヨシだった。アメ横 の店舗と異なって、僕の住む町の小さなスー パーマーケットよりはるかに大きな店舗だっ た。店舗の割りに駐車スペースが狭く感じら れたが、田舎の薬局のように嫁や姑の悪口を 何十分も喋り続けられる饒舌なお客さんは、 どうやらいないらしい。
出不精の僕にとって、今回の行程は結構ハ ードだったのか、それとも都会の空気に酔っ たのか後頭部に鈍い痛みを覚える。一人の客 になって小児用ジキニンを捜す。広い店内は 豊富な日曜雑貨で埋められていて、壁面は、 相当の棚数を費やして医薬品が整然と並べら れていた。目当てのものをまるで獲物を狙う 鳥のように捜し、見つけると持っている籠に 入れる。黙々と店内のあちこちで展開される 行為に違和感を感じる。それは恐らく、雑貨 コーナーと医薬品コーナーで同じ風景が目撃 されるからだろう。風邪コーナーを隈無く捜 したつもりだが見当たらない。甥も一緒に捜 してくれた。あんなに有名な薬一後日、セ ールスに尋ねたら関東では小児用の1本飲み はしないそうだ一なのに不思議だなと思っ ていると彼が、
「次の店に行ってみよう」
と言う。次の店が何処へどのような内容で あるのか分からないので、この店で尋ねてみ たい由を彼に言ってカウンターに行ってみ る。彼にとって取り扱い商品を尋ねるという 行為は、習慣の中に存在しないのだ。レジの 後ろに2人の若者がいた。揃いのエプロンを していることで店員だと分かる。男の子は腰 からずり落ちそうなダブダブのジーパン。女 の子は短いスカートにルーズソックス。どち らも高校生ぐらいに見える。この2人にとて も、薬について、置き場所についてすら尋ね ることには抵抗がある。僕は又、風邪薬のコ ーナーに舞い戻り同じ動作を繰り返す。赤い 買い物籠を下げた中年の奥さんが、僕の傍で 風邪薬を1つずつ手に取り又元に戻す。つい、 どんな症状なのか声を掛けたくなる。何を基 準に最終判断を下したのか分からないが1つ を籠の中に入れた。愛用の薬は、棚の気の毒 なような場所に追いやられていて、それを甥 が見つけてくれた。広い店内に沢山の商品が 並べられて、沢山の客が集まり沢山の消費が 果てしなく繰り返される有名なドラッグスト ア。ダボダボジーパンとルーズソックスの2 人がしていることと、僕が日常している商行 為に客はどれだけの差を感じてくれるのだろ う。それなりに効く薬が安く買えればそれで 良いのだ。Aという薬が効かなければBを買 う。それだけのことだ。プロの助言など元か ら期待していないみたいだ。旅の疲れにカル チャーショックが重なり、頭痛はピークに達 する。
帰りの車中で甥が
「おじちゃんの薬局みたいなのは、この辺り ではもう見ないよ」
と、僕の心を察してかどうか教えてくれる。
「この辺りで薬局と言えば、今見たマッキヨ みたいな大きなお店か、病院の傍にくっつい ている、女の薬剤師さんばかりの小さな薬局 のどちらかですよ」
彼は薬業界とは無縁の都会で暮す一サラリ ーマンで、彼の薬局への印象は多くの人々を 代弁したものに他にならない。彼等にとって 病気になったら、自己判断で薬を買って服用 するか病院に駆け込むかのどちらかなのだ。 その中間に位置し自己治療を専門的に援助す る僕らの存在は無い。彼等の選択肢の中に所 謂OTC薬局は無い。僕の自尊心はガラガラと 音を立てて崩れる。僕は以前から、僕ら世代 が最後の0TC薬局開設者ではないかと思い続 けている。泣く子と資本家には勝てないよう に、個人薬局が大手のチェーン店に勝てると はとても思えない。僕がこの町で経験したこ とが数年後、10年後の我が町の姿でないこと を願う。
国の方針により自ずと薬局は処方箋調剤に 傾斜している。大手ドラッグストアの攻勢に あい、販売が苦戦している時に助船になって いる観もある。しかし何十年も薬局を維持、 発展させてくれた自己治療の客を、自己判断 と病院との間に浮遊させてはいけない。確た る信念で身体を労っている自己治療派の人々 の為にも長年培った知識を酷使しなければな らない。この街に来て、「町のクスリ屋さん」 が見うけられなかった。少しは予想していた とは言え、廃業した薬局を姉が指を折って数 えるのを見て、時が速度を早めているように 感じた。業界紙やマスコミ、あるいは、最早、 ロコミでさえ華々しく伝えられる大手ドラッ グを目の当たりにして、僕にはさ迷える一群 の消費者が見える。いずれ消え去るであろう 我家のような小さな薬局の存在こそが救える 人々がまだまだ沢山いる。僕が店頭に立つ限 り、医療の隙間に振り落とされそうな人々の 悲しみを一つずつ拾い集めて、黒いカバンに 詰め直そうと思う。

僕の薬局は、これと言った特徴を持ってい ない。田舎にあるせいで何でも熟すという姿 勢はこの町に帰ってから変わらない。雑貨も 売った、化粧品も売った。0TCは勿論、漢方 薬も売った。喧嘩は買うより売った方が多か った。処方箋が来れば調剤もした。安売りも した掛売もした。ついでに身売までした。言 わば極く普通の人問が極く普通の薬局を経営 している。僕は、世の中の9割9分の人は 「普通の人々」だと思っている。才能や商機 に恵まれる人はほんの僅かだ。背伸せず、こ んな小さな薬局でも頼って来てくれる人々の 存在に感謝して毎日を過ごさなければならな いと思っている。
マツキヨの若い兄ちゃん、ジーパンはくな らストレートだぜ。


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